2020年03月03日

楽観視

新型コロナ騒動の今後について楽観視する、かどうかはともかく。
「楽観視」って言葉は今までもよく目にしていた。
で、今般またたくさん見かけるので、まさかと思いつつ辞書を見てみると…

例えばデジタル大辞泉
[名](スル)物事の先行きがよいほうに向かうとみなすこと。心配しなくてよいと考えること。「市場縮小はもはや楽観視できない」

辞書にも載っちゃってるんだね。
「楽観視」なんて絶対重複表現だろうに。

例えば上記大辞泉の語義解説文や例文。
それは「視」を除いた「楽観」でも同じことだろう。
それに限らず、世で「楽観視」と言われている部分は大抵「楽観」で事足りるだろう。
ちなみに同じデジタル大辞泉の「楽観」を見ても、解説文は「楽観視」と微妙~~に違うものの誤差の範囲じゃないのこれ?


思うに、「楽観視」という言葉に違和感が無い人ってのは、「観」に「みる」という字義や読みがあることを知らないんじゃないかと思う。
「楽観視」なんて言ってる以上、「視」に「みる」という読み、少なくとも字義があることは承知しているはずだ。
そこに「観」を重ねても何とも思わないってことは、やっぱりそういうことでしょ。


まあそれで話が通じないわけでも誤解が生じるわけでもないし、そういう意味では別にいいっちゃいいんだけどね。
よくある、言葉の変化ってやつの一種なんだろう。
でも例えば「ら」抜き言葉のように省略・簡略化されるのではなく、逆に余分な字を加える方向にも変化していくとは、不思議なもんだなと思った。
あるいはそうしてわざと複雑化することで、話を何か高度化したいとか威厳を持たせたいとか、そんな心理だろうか。
それとも一文字いくらで稼ぐようなどこかのライターの仕業だろうか ^^


ググってみた。

毎日ことば~「楽観視」の「視」は必要?
東海テレビ~空言舌語~楽観視

自分としては後者の東海テレビさんに全面的に賛同するが、8年前の記事でもあり…
現状・今後については“悲観視”せざるを得ないかねぇ。

posted by 並句郎 at 02:08| 言葉・疑問 | 更新情報をチェックする