
青春出版社
田村秀行 著
だから、その日本語では通じない(2005年5月15日 第1刷)
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「再挑戦!漢字学習」で紹介されていた「日本語力の磨き方」(サブタイトル「漢検なんか受けるな!」)を読みたかったのだが、図書館に無かったので代わりに同じ著者のこの本を借りてきた。
こちらにはサブタイトルはついてないが、全10章のうちの第9章のタイトルが「バカの文章は「漢字」が多い」で、漢検批判もされている。
その第9章以外は、漢字とは特に関係無しに「通じない」・「通じる」日本語についての考察。
読んでて眠くなった。
それはまあ、どうしてもこの本を読みたかったわけではなく著者名だけで借りてきた自分の責任であって、著者が悪いわけではない。
それでも随所になるほどと思う部分はあった。
例えば、「見られる」→「見れる」のような「ら抜き言葉」には寛容である一方で、「コーヒー とか 飲もう」のような「とか」の使い方は怪しからん、なんてあたり、決して感情論ではなくちゃんとした理屈があって納得できた。
日本語を突き詰めて考えていけばそういうことなんだなーと思わせる、が…
しかし第9章での漢検批判には閉口した。
それまではおおむね穏やかな文章だったのに、その部分にくるといきなり攻撃的になる。
漢検に何かイヤな思い出でもあるんだろうかねー ^^
そこを全部引用したいところだが、そこそこ長いし著作権的にどうなのか、と思うのでやめておいてあげよう。
まあ一言で言えば的外れ。
四字熟語で言えば、牽強付会、全豹一斑、かな。
そんな四字熟語についても批判的で、そこだけちょっと引用すると、
「
四字熟語は「漢検の花」ですからね、それだけでどういう代物かわかるというものでしょう。」(P168)
と、まあ、なんでそこまで漢検を目の敵にするんだろかね。
やっぱり過去に何かが… ^^
その第9章さえ無ければ悪くない本だったのに。
もう1ヵ所だけ引用させてもらえば、126ページのこの部分。
「
《何を言ったか》よりも《誰が言ったか》で決まる場合が多い」
ですよねー。
第9章みたいな書き方してちゃ、説得力ありませんよー。