2016年05月30日

準1級配当漢字 懷古寫眞舘287 「岨」

つ岩。
kaiko287.JPG





そばだつ岩。
北海道・遠軽の瞰望岩(がんぼういわ)。
撮影は1991年。
この岩については遠軽町のページなどをご覧ください。


漢字ペディアによると「岨」の読みは、
 音読み=ソ
 訓読み=そば・そばだ(つ)


漢和辞典を見てみる。

音符「且」の意味付けとしては、例えば漢語林では、
積み重なるの意味
で、山へんと合わせて、
上に土の積もった岩山の意味を表す
とのこと。

漢語林だけでなく、手持ちの9冊中6冊で、「岨」の字義として “土をかぶった” 岩山などとしている。
するとこの瞰望岩みたいな丸裸の岩の場合には「岨」の字はふさわしくないのかも知れない。

じゃあ、土をかぶっていない場合には何の字を使えばいいのだろうかね?
「巌」とかだろうか?

posted by 並句郎 at 21:28|   寫眞舘各記事 | 更新情報をチェックする

2016年05月27日

「千島列島をめぐる日本とロシア」

160527.JPG北海道大学出版会
秋月俊幸 著
千島列島をめぐる日本とロシア
(2014年5月25日 第1刷発行)


帯より抜粋。

日露関係史の泰斗による通史。

日本とロシアの最初の接触から現代までを、
両国さらにはアイヌ民族とのかかわりについて、歴史的に考察。
一般読者向けに読みやすく書き下ろした、
著者積年の研究の総決算。



“泰斗”の“総決算”ではあるものの“一般読者向け”なので読み易い。
歴史の教科書を読んでる気分だった。
千島だけでなく樺太についてもかなり触れられている。

“通史”なので、去年読んだ「黒船前夜」と似た感じだが、上記帯の通り、こちらは黒船後も現代まで書かれている。
そのうち、明治から戦前・戦中あたりまでのこの地方のことについてはあまり本で読んだ記憶が無かったので新鮮だった。
それは徐々にアイヌの影が薄れていく時代でもあるのだが。


で、毎度思うことは同じで、アイヌ自身による記録が無いのがなんとも残念と言うか歯痒いと言うか。
けどまあ、それを言っても仕方が無い。

アイヌだけでなく日本人もロシア人も苦労してるなーというのが“一般読者”の下衆な感想 ^^;
それでなくても自然条件が厳しいのに、さらに本国から遠くて補給もままならない未開の島々。
けれども資源は豊富だし、黙ってると相手に占領されるしで放置もできず。
そしてその日露の都合で振り回されるアイヌ。
で、現在まで続く北方領土問題。

一般人が読む通史としては上質だと思う。


ただ、もうちょっと詳しい地図を載せて欲しかった。
見返しに地図が一応あることはあるのだが、大雑把すぎる。
その地図に載ってない地名を現代の地図で探そうとしても、地名が当時とは変わっていることが多いだろうし、そもそもこの地方の詳しい日本語の地図は少なくとも一般には出回ってないだろう。
択捉島までなら国土地理院の地形図があるけれども。

ところで、この著者名、どこかで見たことあるなーと思ったら、この本の訳者だった。
あ、今さら気がついたが、そこで参照していたテキサス大学のサイトの地図がちょっとは参考になるかな。
この「Index Map」で見たい区域の番号を調べて、ここのリストから選択。
地名がアイヌ語ではなく和風になっちゃってる所が多いみたいだけど。

posted by 並句郎 at 19:15|   図書館本各記事 | 更新情報をチェックする

2016年05月25日

漢検 平成27年度第3回実施状況

漢検サイトより。

例によって一覧表に追加した。


準1級の合格率は 12.8%。
平均的な数字かな。

1級が16.8%と高めで、準1級より高くなった。
が、まあそれも珍しいことでもないし。


グラフ27_3.GIF
1級・準1級・2級の合格率推移グラフ →→→
ここをクリックで拡大)


posted by 並句郎 at 19:00| 漢検 | 更新情報をチェックする

2016年05月23日

夷酋列像

夷酋列像.JPG去年の話になるが、北海道博物館で「夷酋列像」という展示会?展覧会?があったので見てきた。
詳しくは上記リンクやWikipedia他をご覧いただくとして、つまりは12人のアイヌを描いた肖像画。

で、そこで買ってきた図録?解説書?を今さら読み終わった。

んで、その「夷酋列像」の絵画としての評価とか、歴史的背景とか、その辺はまた他をご覧いただくとして。

絵の端に、どこそこのだれそれ、が、漢字で書かれている。
地名も人名もアイヌ語なので当て字なのだろうが、それが気になった。
列記する。

《地名》
 ウラヤスベツ → 烏蠟亞斯蹩子
 クナシリ → 屈捺失律
 ノッカマップ → 訥子葛末膚
 アッケシ → 遏决失
 バラサン → 髪蠟撒摸
 シャモコタン → 西亞没箇鄲
 ベツカイ → 蹩子葛乙

《人名》
 マウタラケ → 麻烏太蠟潔
 チョウサマ → 超殺麻
 ツキノエ → 貲吉諾謁
 ションコ → 贖穀
 イコトイ → 乙箇吐壹
 シモチ → 失莫窒
 イニンカリ → 乙唫葛律
 ノチクサ → 訥窒孤殺
 ポロヤ → 卜羅鵶
 イコリカヤニ → 乙箇律葛亞泥
 ニシコマケ → 泥濕穀末决
 チキリアシカイ → 窒吉律亞濕葛乙


地名の漢字表記もまだ定まっていない時代であり、現在の表記(例えば、クナシリ=国後、アッケシ=厚岸)と違っているのはいいのだが、それにしても何故その字なのか、と思う。
試しに「屈捺失律」「遏决失」をググってみても、この夷酋列像関連でわずかにヒットするだけ。

何より人名に「殺」を使うのはちょっとどうなのか。
「殺」以外でも、どちらかと言えば良くない方向の字が多いように見えるが、気のせいだろうか。

ここで描かれているのは描き手側(松前藩)に味方したアイヌであるはずなのだが、それでもやっぱり「夷」という見方なのか。

その字を使うと決めたのは誰で、その理由は何なのか。

残念ながらその点について、図録中には説明されていなかった。
漢字に興味を持つ人なんていないのかね。
それとも単に純粋に音を借りてるだけなので、字義としては完全に無意味であり解説の要も無しということなのか。

歴史にも絵画にも漢字にも無知な現代人の感覚だけであれこれ言ってみても始まらない。
ぜひとも専門家のお話を聞きたいところ。


ついでに。
夷酋列像の「酋」の字について。
図録では表紙から中の文章まで、またこの催事のパンフレット・チケット・看板などでも、「酋」のてっぺんの「ハ」の部分が「ソ」になっている字体。
パソコンではどうやら「ハ」の「酋」の字体しか出せないようだし、漢和辞典を見ても「酋」が正字なのだが、敢えて、なのかどうか、てっぺんが「ソ」の字を使っているのは…
チキリアシカイ.JPG夷酋列像序.JPG
←←← 絵(チキリアシカイ)の中でも、

   序文でも、→→→

「ソ」だから、なのかな?

それとも単に製作現場の環境やフォントの都合なのかな??



posted by 並句郎 at 20:40| 漢字の周辺 | 更新情報をチェックする